「竹鶴」は、ジャパニーズウイスキーの父であり、ニッカウイスキー創業者の竹鶴政孝氏の名前が由来で名付けられました。
「本物のウイスキーをつくりたい。」
その一心で、竹鶴氏は日本で初めて本場スコットランドへ留学した人物です。
美味しいウイスキーは、北の風土が育むもの。そう確信した竹鶴氏は帰国後、北海道の余市と仙台の宮城峡の2つの地に念願の蒸溜所を完成させました。
1934年の創業以来、石炭直火蒸溜という伝統的な製法が頑なに守られ、力強い個性を持っている余市蒸溜所と、華やかでやわらかな個性を持つ宮城峡蒸溜所。
竹鶴は、この2つの蒸溜所のモルトだけをヴァッティングしたウイスキーです。
日本のウイスキーの父の名が刻まれているとともに、一滴一滴の中にウイスキーづくりへの情熱が息づいている逸品です。
1934年創業のニッカウイスキー。1967年2月に第2の蒸溜所を建てるべく日本中を視察し、最終的に岩手、宮城、福島の3県に絞り込みました。
同年5月に竹鶴政孝氏が現宮城峡蒸溜所の地を視察し、新川川の水を飲んで、即座に宮城に決定を下したそうです。そして、同年11月に工事が着工されました。
蒸溜所の完成は1969年のことで、同年3月に蒸留器の火入れ式が行われ、竣工式は同年5月10日に華やかに開催されました。
その式の会場に訪れた竹鶴氏は妙なにおいに気づいたそうです。それは、壇上に掲げられた看板のペンキのにおいだったそうですが、竹鶴氏の他には誰も気づかなかったので、さすが創業者の鼻、と感心されたそうです。
「ニッカウイスキー創業者、竹鶴政孝翁(故人)が昭和42年5月にこの地を訪れ、新川川(にっかわがわ)の清流を汲み飲んで、あまりにも清冽で磨かれた味に驚嘆し、北海道余市に続いてニッカが求めた第二のウイスキーの故郷、仙台工場の建設を決定した記念の地です。」
これは宮崎峡蒸溜所の側にある新川川の傍らにある「ニッカ仙台工場建設決定の地」記念碑に刻まれている文面です。
この記念碑は竹鶴政孝氏の志を受け継いできた社員たちが、1999年に建立したものです。竹鶴氏は、この新川川の水を飲んで、いくつかあった候補地の中からこの地に蒸溜所を立てることを決めました。
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