広島の造り酒屋に生まれた、ニッカウイスキーの創業者であり、『日本のウイスキーの父』と呼ばれている竹鶴政孝氏。
同氏はウイスキーの飲み方にもこだわりを持ち、「時間をかけてゆっくりと。楽しみはできるだけ長く」と語りました。
「スコッチに匹敵するウイスキーを日本でつくりたい」という思いの下、絶えず本場スコットランドのスコッチウイスキーを目標に、ウイスキー造りに取り組んできた同氏。
英国のヒューム副首相が来日した際には、「50年前、頭の良い日本の青年がやってきて、1本の万年筆とノートだけで、英国のドル箱製品であるウイスキー造りの秘密を盗んで行った」と話し、竹鶴氏とニッカウイスキーの品質を認めていました。
そんな同氏が造り上げた集大成とも言えるのが、1976年に一般発売された「鶴」です。竹鶴氏が最後に手掛けた銘柄になります。
多くのファンに惜しまれながら2015年に販売終了したこともあり、希少価値の高い逸品です。
ニッカウイスキーは、近年では2001年に、116番目のウイスキー蒸溜所として余市モルトが認定され、「世界最高のモルト」として賞賛されました。
「鶴」は、そのウイスキーへの情熱の集大成なのです。
北の自然環境の中で長い間熟成させた、モルトウイスキーの重厚で上品な風味、そして円熟したまろやかさを味わえるのが特徴。
鶴17年のボトルは、鶴のように優美なデザインになっています。キャップには鶴の絵が描かれており、凛とした気高さを表現しています。
その他にも少ない力で開けられるようになっているキャップや、置く棚を選ばないボトルサイズ、持ちやすくなったボトルシェイプなど、消費者のことが考えられたつくりになっています。
宮城峡蒸溜所の住所は「宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地」です。しかし宮城峡蒸留所が建設される以前の住所は違いました。
宮城県宮城郡宮城町大字作並字戸崎原上~まだまだ続く大変長いものだったそうです。それがなぜ簡素なものに変わったのかと言うと、蒸溜所建設の記念に知事からの贈り物として現在の住所がプレゼントされたと言います。
それと言うのも、当時の宮城町長であった庄子長吉氏が、竹鶴氏と会談した際に「ニッカの宮城県進出を記念して何かプレゼントしたい」と申し入れました。
「それならば番地名をニッカに」と竹鶴氏が言うと、それを快諾したそうです。地元民への理解を得るのに苦労されたそうですが、大変素敵なプレゼントですね。
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