山崎12年は、その名前の通り12年以上熟成された原酒を使って造られています。かつては山崎10年のワンランク上の製品ラインナップとして、高級国産シングルモルトウイスキーの入門ボトルとして大勢の人に親しまれていました。
山崎10年が近年のウイスキー人気による原酒不足によって終売となり、代替えラインナップである山崎シングルモルトウイスキー(通称、山崎ノンヴィンテージ)が発売された現在においても、その地位は揺るぐことはありません。ジャパニーズウイスキーを飲みなれた人であれば、誰もが一度は飲んだことがあるとも言われる、そんな本格派ウイスキーが山崎12年なのです。
山崎12年の製法は、単純に熟成を重ねた原酒が使われているのはもちろんのことですが、樽熟成が行われる時点から既にノンヴィンテージのものとは違っています。
山崎ノンヴィンテージがミズナラの新樽とワイン樽の原酒2種類をメインに使用していると言われているのに対して、山崎12年ではそれ以上のヴィンテージのものと同様に、シェリー樽によって熟成された原酒が使用されています。
山崎12年の、日本人好みの華やかな甘みはこのシェリー樽に由来するものだと言われています。熟した柿やバニラを思わせる奥行きのある甘みが幾重にも重なって、深みのある味わいを飲んだ人に感じさせてくれるのだそうですよ。香りは若干のスモーキーさを感じさせながらも、シェリー樽ならではのウッディな甘さと、洋ナシや青りんごを感じさせるフレッシュさが特徴的です。
そんな山崎12年は、比較的手に取りやすい金額帯で販売をされているということもあり、ジャパニーズウイスキー好きの間だけでなく、その他の人々にも人気を博しています。
山崎12年は、国際的にも高い評価を受けています。
「SWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション)」や「ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)」といった名だたるコンテストにおいて、山崎12年は何度も金賞に輝くなど、まさに日本を代表する、定番シングルモルトウイスキーとしての地位を確立し続けています。
山崎蒸留所は日本初となるモルトウイスキー蒸留所として、1923年に寿屋(現在のサントリー)によって大阪府に建造されました。
大阪にある山崎という土地は、古くから「名水の地」として広く知られており、その水質の良さから千利休が茶室を設けていたこともあると言われています。
寿屋の創業者で当時の社長でもあった鳥井信治郎氏が企画し設立された山崎蒸留所。
その初代所長に選ばれたのは竹鶴政孝氏です。竹鶴氏はNHKの連続ドラマ「マッサン」の主人公のモデルにもなった人物として有名ですよね。
竹鶴氏は日本でも、世界に負けない本格的なウイスキーを造りたいという強い想いを持ち、スコッチウイスキーの本場であるスコットランドでウイスキー造りを学んでいました。
そんな竹鶴氏が、山崎の地に蒸留所の建造を決めた理由は、この地の水質が良いだけでなく、宇治川、木津川、桂川の3つの川が合流するために周囲には霧が立ち込め、ウイスキーの本場であるスコットランドの気候とも似ているためだったと言われています。
後に竹鶴氏はサントリーとの契約が切れたことをきっかけに、北海道の余市に蒸留所を造るのですが、山崎蒸留所は日本初のモルトウイスキー蒸留所として、その後の日本ウイスキー界の発展に大いに貢献した、ジャパニーズウイスキー界の礎なのです。
そんな山崎蒸留所では、上質な水と本場スコットランドで学んだ技術を活かした複数の設備を使い分けることで、特徴をもった多様な原酒を造り分けています。
山崎12年を始めとして、そうして造られたウイスキーはその質の高さから、現在では日本のみならず、世界中から注目されています。
山崎蒸留所は、今や名実ともに、日本を代表する蒸留所との地位を確立した存在だと言えるでしょう。
様々な条件を満たし、ウイスキー造りの理想郷だとも言われている山崎蒸留所ですが、現在の地位を得るまでには数多くの障害を乗り越えてきた歴史を持っています。
日本で初めて造られた国産ウイスキーは、サントリー白札(現在のサントリーホワイト)。その発売が開始されたのは1929年のことでした。しかし白札は、熟成年数の不足やウイスキー造りの経験不足からピート香がきつすぎる状態だったため、日本人にはあまり受け入れられませんでした。
その後に発売された廉価版である赤札(のちのサントリーレッド)でも売れ行きは芳しくなく、販売中止となってしまったのです。
しかし鳥井信治郎氏・竹鶴政孝氏の両名は、そんな状況にも決してくじけることなく、世界でも通用する国産ウイスキーを作り出すという強い意志を持ち続けます。
弛まぬ努力によって、より日本人にとって受け入れられやすい味わいに改良された「サントリー角」、「オールド」「ローヤル」など、現在でも根強い人気を誇る数多くの名酒を生み出し、その後も日本のウイスキー文化を牽引しています。
その後「山崎12年」が発売されたのは1984年、山崎蒸留所の稼働から実に60年以上の時を経ての発売となりました。
当時の日本ではウイスキーが受け入れられていたとは言え、それはブレンデッドウイスキーが主流でした。
それまでは世界でも、シングルモルトウイスキーは限られたウイスキーファンが嗜むもの、といったイメージが強かったのですが、そんな時代にあって発売された「サントリー山崎」は、その質の高さから、これまでシングルモルトになじみが無かった人たちの間にも瞬く間に浸透していきました。
そうして造られた「山崎12年」は、世界中の様々なコンペティションで金賞や最優秀賞などの優秀な成績を収めており、現在では日本を代表するシングルモルトウイスキーとして、世界中で高く評価され続けています。
山崎のラベルに書かれているロゴの文字は、当時のマスターブレンダーでありサントリーの二代目社長ともなった、佐治敬三氏の直筆によるものだそうです。
この山崎の「崎」の字をよく見てみてください。
「奇」の部分が「寿」の字の様に見えませんか?
これはサントリーの前進であった社名「寿屋」にちなみ、また、ジャパニーズシングルモルトウイスキーの門出を祝う気持が込められているのだと言われています。
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